市民オケの曲が難しくてうまく弾けない部分がたくさんある。
本番前になって気づくのが悪いのは百も承知だけど、しょうがない。
腱鞘炎気味になるほど、1週間はそればかり練習して、他の室内楽やチェンバロは練習を休んでたよ。
演奏会を終えてはっと気づいたら、もうチェンバロのレッスン日だった。
レッスンに出かける前に、どの曲を持っていくのか確認しなきゃ。
それぐらい、忘れてた。
だのに、寝不足で、ピアノに向かうと目が閉じてくる。
だめだこりゃー。練習の前に、昼寝しなきゃ。20分だけ。
と思ったけど、ちょうどいまマンションの大規模修繕工事中で。
ウトウトし始めたらすぐに電動ドリルのガーッ!!とか金づちトンテンカン!!で眠れやしない。
もうろうとしたまま、と言っては大げさすぎるけど、ぼうっとしたままレッスンに向かった。
小雨が降ってるから、電車で。電車待ちの時間にホームで楽譜を開いて、ページ数だけ確認した。
先生に「きのうはオケ本番で、寝不足でー」と言ったら、チェンバロの練習不足の言い訳だろうと即座に察していただいたようだ。
恐らく時間稼ぎのために、先生のご覧になった悪夢の話を詳しくしてくださった。
「楽譜に数字譜もついてなくて、困ってたら教授が現れて『これは無理よ』とアドバイス(?)されて」
やけに、リアルな夢ですねー。悪夢だー。
あ、「数字譜」ってのは、普通の五線の譜面に小さく数字が振ってあってね。
数字は和音(コード)を表してる。
左手、バスしか書いてない譜面でも、数字がついていれば数字譜を頼りに右手で装飾を付けることができる。
この読み方、弾き方がわからなくてね。
それを知りたかったのも、レッスンに就いた一因。
時間かせぎのついでだ。数字譜の読み方、使い方を教えてもらった。
基本理論はわかった。「3」と書いてあったらバス(ベース)の音の三度上の音、「6」なら六度上の音。
しかし、その和音をギターみたいにじゃんじゃか弾くだけじゃ、ダメなのよ。
曲調によってはポツポツとか、しっとり弾く必要があるんだって。
そうだよなあ。そこが、プロの腕の見せ所なんだろうな。
いつまでもおしゃべりしてるわけにはいかない。
昼寝の前に一度弾いただけで持ってきた曲を見てもらう。
先生、時々「ちょっといいですか」とあたしをどかせ、ご自分で見本の演奏をしてくださる。
そのたび、目からウロコが落ちまくり。
ああもう、どうぞそのまま弾いててください。と祈ってしまうほどの別世界がそこに広がるよ。
もちろん、言葉での説明もされる。
生徒の演奏を聴きながらその場で、「よくそんなに出てくるな」というほどいくらでも注意箇所が出てくる。
で、その通りに弾いたら、自分で弾いてもほれぼれするような美しい世界が開けるんだ。
その一瞬だけかもしれないからね、レッスンから帰ってきたら忘れないうちに家でも弾いてみる。
あの「あ、この感じ」というほどの世界は再現できない。まだまだ教わりたい。
持って行った曲は無事マルがもらえて。「次はコレかしら」と先生が楽譜を手にとってパラパラ見る。
「すごいすごい。こんなにたくさん進んで。器用なのね」
い、いやー。今まで不器用の極地で生きてきて、器用と言われたのはこれが生まれて初めてだよ。
あまりにもそぐわないので「は、うーん」と首をかしげてしまった。
でも、せっかくほめて下さったので。
時々でもホメてもらうと、やっぱりうれしい。お世辞とわかっていても。
コメント
音楽じゃなくてもこういう先生って素敵だね。
自分でやってることを言葉で説明することってとても難しい。
見て覚えろは、教える側の怠慢でしか無いね。
というぼくは、ぼくですらできることがなぜできないって思うよくない先生、先輩だったな。
いまさらながら反省、反省。
怠慢もあるのかな。教えるのにも才能とか、向き不向きがあると思います。
にゃんたさんは考えなくても最初からできちゃう秀才なんでしょう。そういう人にも難しいことって、あるんですねえ。