ケチとエコは紙一重

小学生のころからケチの自覚はあった。同級生が少女漫画雑誌を自分で買うと知って、「た、たいせつなお金を、そんなことに遣っちゃうの!?」と大ショックを受けたことは忘れられない。

親が「子どもにお金は必要ない」と思っていて、小遣いは高校ぐらいまでもらえなかった気がする。遠い昔のことで、はっきり覚えていないけど。それまでお年玉でしのいでいた。

大人になり自分で稼ぐようになったら、たまには無駄遣いするんだけど、けっこう激しく後悔しちゃう。

出勤前にATMで現金を引き出すとき、勘違いしていて時間外手数料を落とされてしまった時なんか、うわああと叫んで胸をかきむし・・・りたくなったが我慢した。

いや、これからも、そういうホントのムダづかいはできるものならしたくないけどね。

同僚でもあたしとかなり近いレベルの後輩女子がいて、自宅で定期購入しているというカップヨーグルトの紙容器を洗って会社に持ってきて、給茶機からお茶を汲んだりしてる。

その女子はあたしと違って、特に不自由な育ちをしたとは思えない。きっと、いい育てられ方をしたんだろうなといつも思う。

あたしも、環境に悪いのはどうしたって嫌いだ。

東日本大震災の時、会社では照明をすべて消して薄暗い中で仕事をした。その後計画停電が終了しても、コピーコーナーや打ち合わせコーナーなど「常時人がいるわけではない場所の照明を切りましょう」のアナウンスは1年以上続いた。

今でも、むだな明かりがついているとあたし一人で消して回っている。

自宅はもちろんケチケチ。冷房を使うときはリビングの間仕切りを閉めて、一番小さくなる隅を作り28.5℃に設定。効率がいいせいか、それでも26℃ぐらいに冷えるんだよ。

洗い物をするときの水は蛇口からえんぴつの太さで出す。というのはネット情報でどこかで見て、いいなあと思ってマネしてる人様のアイデアだけど。

ただしシャンプーを使わず「湯シャン」をしているので、そこは水の節約にはなっていない。

やはりエコを重んじる若い知り合い女子に「湯シャンしてる」と告げたら「お湯がもったいない!」と柳眉を逆立てられた。

でも、ただ流すんじゃないよ。浴槽に半分しかお湯を溜めないで、その中で湯シャンして、浮かんだ汚れは手ですくい取れば中で体も洗える程度の質と量の湯が溜まる。

あ、ちなみにボディシャンプーも石けんも使ってない。ここだけはエコ目的ではなくて、使うといつまでもかゆくて、特に顔の皮膚が荒れる。

野菜をなるべく無農薬を選んで買うのは、自分の健康のためもあるけど、同じぐらいの価値を「地球のため」に置いている。

肉はほぼニュージーランド産ラムばかり買うのも、あそこは抗生物質なんか使ってはいけないし草以外の飼料を与えてもいけない法律があると聞いたから。

鶏の胸肉がブームになって、しばらくあたしも乗っかったことがあったけど、どうもあの工場みたいな育て方を思うとかわいそうすぎて健康になれるとは思えなくて。

なんか、タイトルから内容がどんどん離れてきたみたい。話が長い人の悪い癖に困っていたつもりが、自分で同じことをしていたー。すみません。ここで終わらせます。強制終了。

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