先週、チェンバロの発表会後最初のレッスンだったよ。
先生、開口一番「吉永さんのお店に行きましたか」だって。
先生も吉永ガラス店のセールを楽しみにしてたんだって。
「ほんの少ししか買えませんでしたけど」と戦果を教えてくれたのが、あたしと全く同じ2点だったみたい。
ドレッシングを入れるジャグと、お花を活ける小さな器。
あらー!あたしもそれ買いましたー。ジャグは300円だったし。
お花を活けてあったのは、ほんとは花瓶じゃなくてウイスキーグラスだそうですよ、なんて言ったら野暮なので黙っておく。
「300円」も余計だったかな。
「ほんとに、気が合いますねー」と言ってしまって、まるで先生を友達扱いしてるよな。
でも、年齢も近いし、先生の音楽活動の話はすごく興味深いし、あたしの音楽活動の話も(たぶん)面白がってくださる。
二人とも、ラモーやクープランのフランス物のチェンバロ曲が好きだし。
ん?先生が、話を合わせてくれてるのもあるのかな。
ピアノを習っていた小中学生のころは、先生と雑談なんてあり得ないことだった。
妹と一緒に通っていたとき父が亡くなり、妹だけ(それを言い訳にして)休んだ時に先生が「まあ。よはねすさんのおうちは悲しいことが起きるのね」とため息をついてくださったとか(この先生は男性でした)、中学一年のときに自分では弾けたつもりのショパンが「あなた、人を好きになったことある!?中学一年じゃ、まだないか」と言われて涙を必死で我慢したとか(これは女性の先生)、思い出せるのはその2回ぐらいだよ。
ピアノレッスンは1回たった30分だったこともあるけど、あたしも早く次の曲に進みたくてガツガツしてた。
おしゃべりなんて時間がもったいないだけ。
それが、大人になるとおしゃべりも音楽と同じぐらい楽しみになるんだなあ。
曲を早く進めたいのは同じなんだけど。もう老い先が短いのでね、次から次に弾いていかないと死ぬまでに弾けない曲がたくさん残っちゃう。
長年、一人でチェンバロ曲の楽譜を見てピアノで楽しんではいたけど、習ってみたらあまりに弾き方が違うからびっくりしたよ。
メロディの音は二つずつ区切らないといけない。4度(ドからファ)以上離れてたら、滑らかに弾いてはいけない。
トリルがすごく多用されるのもチェンバロ曲の特徴だけど、半音にするか全音にするかわからない。
先生も、「ここは半音にしてください」と教えてくださるけど、どういう時に半音なのか説明できる時とできない時がある。
これはセンスの問題のようだ。先生に就いて教わらないと無理。
まあ、これらは習ってみて初めてわかったことで。
本物のチェンバロの音色を楽しみたかったから、教室で触らせてもらうしかなかったのがきっかけではある。
ピアノは、先生に就いてても弾けなくなって辞めたんだけどね。
高校に進学したら学費がかかるようになるから、親に遠慮したのもある。
その後は、独学で弾ける範囲の好きな曲を楽しんではいた。
先生に就いてたら絶対に到達できなかった「ラ・カンパネラ」なんかをぐじゃぐじゃと遊んだり。
あ、もちろんまともになんか弾けなかったよ。でも、今よりは高校生の頃のほうがずうっと良く弾けたなあ。
しかしきのう、独学ピアノが楽しかった。
先日ブログに書いたブラームスのバラードがあの時ゆっくりしか弾けなかったけど、もう一度だけ弾いてみたらタッチミスしながらも最後まで弾き終えた。
「弾けたっ。ざまーみろ」となぜかつぶやいた。
いったい誰に言ってるんだ。あの時「独学じゃ無理」と諦めてしまった自分に言ったのかもしれない。
コメント
よはねすさんの昔の先生ってなんか嫌な感じね。
でもってなんかそれがぼくの思ってるピアノの先生な感じ。
きっと雑談しても語尾にザーマスがつくんでしょ。
今の先生はいい感じね。
楽しまなきゃね。
「弾けたっ。ざまーみろ」
かっこいい!(^^)
あのピアノ教室は1年ごとに先生が交代したのですが、全員優しかったのにあの一人だけキツくてショックでした。今の先生には「優しく教えてくださるのでありがたい」と折に触れ伝えています。
カッコいい曲が弾けて、達成感が気持ちよかったです!