図書館の新着チェックをしていると、「自分を変える方法」とか「習慣を変える」とかのタイトルの本が目につく。
あたしは今、せっかく「なりたい自分」になれたところなので、目もくれなかった。
なりたかった自分の姿というのは、好きなだけ趣味の音楽を聴き、楽器の練習をし、本も読みたいだけ読むこと。
何十年も願い続けたその生活が、一人暮らしとリタイアによって手に入ったというのに。
なぜか、楽器に全く手も触れないという日がある。
音楽サークルに参加した日なら、家でまったくさわれなくてもまだいい。
「やろうやろう」と思ってるのに、あるいは練習しながらも目が閉じてきて、諦めて昼寝してしまうことさえある。
夜の睡眠が足りない。昼寝したらますます眠れないに決まってるのに。
読書は、まだいい。風呂に入るのをやめれば、夕食後寝るまでに1時間か2時間は時間がとれる。
あたし、本当に音楽が好きなんだろうか。もしかしたら「音楽が好きなあたし」の姿に憧れているだけのことだったのか。
だって、本当に好きな人は楽器にさわっていない時間が長いとイライラしてくるんだって。
売れっ子のプロの演奏家は、演奏旅行で飛行機に乗っている間は絶対に触ることができない。
プロだけじゃない。あたしが好きだったブロガーさんも、ピアノに触っているだけでうれしくて幸せで、ついにブログを長期に休む宣言をして本当に更新が止まってしまった。
時間が足りないから練習できないのだ、と思っていたとき時間術の本を山ほど読んだ。
多くの本に、テレビとスマホが時間泥棒なのだ、デジタルデトックスせよと書いてある。
確かに、テレビはつまらなくて時間の無駄でイライラする。
全く同じような情報がスマホにも流れてくるのに、なぜスマホだと見続けてしまうのか。
で、きのうは意識してスマホもPCも触らないようにしたんだ。
寒いけどスマホ持って7時に起きて。
ブログ書いて最低限のメールチェックして。
朝昼ごはん食べて片づけて、図書館に返しに行ってついでにちょこっとウォーキング。
やっぱり、ピアノに触るのは早くても2時からだな。
たっぷり5時半まで練習できた。
なのに、練習していると悲しくなって、ため息ついて手が止まってしまう。
さらってもさらっても弾けないところは、友達が簡単バージョンに編曲してくれたり指使いをアドバイスしてくれた。
それを思い出しちゃって、弾いていても全然楽しくないんだ。むしろ、辛いだけ。
ピアノを習ってて挫折する人って、きっとこういう気持ちなんだろうな。
同じ「弾けない」でも、次回初めてみんなと合わせる予定の曲は楽しい。
まだ悲しい思いをしていないからかな。
どっちみち、ろくに弾けないところばかり練習するので、すべて弱音ペダルを使ってる。
美しく弾ける、いや、せめてつっかえつっかえでなく弾けるようになってからじゃないと、通常音量は近所迷惑だ。
しかし。こうして、小規模だけどデジタルデトックスしたら3時間半も練習できたんだ。
ピアノのあと、また最小限のメールチェックをして、夕ご飯と読書もたっぷりできた。
この調子を、毎日続けたいなあ。
コメント
職業にするようなことがやりたくてたまらなくて禁断症状する起こしてしまうような人はある種の変人(尊敬を込めて)か天才だけだと思う。
普通の人は、やりたい気持ちとやらなくてもいいやっていう気持ちを天秤にかけて、やっぱりやってる自分の方が好きって思えた時にやるようなもんじゃないんだろうか。
ぼくにとっては書くことが多分一番好きでネタがないと辛いから走ってるだけと言い切れないことはないという自分語り^^;
書くためのネタ作りだとしても、走るための強い動機ですよね。
まあ、動機なんかなくてもどうしても走りたい、弾きたいって確かに変人と言い切れないことはない。
変人と言われてもピアノのためなら構わないというかむしろ勲章のようなもので。「ピアノ弾ける自分が好き」がこうじて自分に酔えるぐらいの腕前になれたらなあ。
仲間と一緒に弾くと打ち砕かれる。ランは、仲間がいたら楽しいのでしょうか、やはり打ち砕かれることもあるのでしょうか。